物語は続く(7)屋根の上の男

屋根

 

時代は前後するが、先の物語の治は後にこの家に婿として入る。浅草で印刷などを生業とする清治の家である。写真の上、屋根の部分に注目したい。屋根の上に立つハットを被った男。清治である。新しいモノが好きで、物事を俯瞰でみたいという精神はこの写真にも反映されている。今も残る本郷三丁目の土屋トレーディングの土屋さんと高周波で木材を曲げる機械で何か仕掛けようとしていた頃である。現在もフェラーリの輸入など貿易商であった土屋さんから海外の技術を見聞きすることも多かったであろう清治は、後に治が話すZOOGAMIの話を土屋さんに質問したようだ。イタリアのものなら何かしら情報があるだろうという判断だったようだ。

土屋さんは後に清治に忠告した、「触れないほうがいいようですよ」    と。

物語は続く(6) 父の事

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今までの話で何度も登場した下田の助蔵さんは私の父である治の祖父、旗郎の祖父である。「ぞうがみ」の物語はこの系図の中で語り継がれたものだ。父はあまり興味を持っていないようで、私に多くを語ろうとはしなかったが、それが私を想ってのことなのか、否なのかはわからない。根っからの文学青年であった父親にとってそれ程ロマンチックには見えなかったのかもしれない。(写真左から2番目が父)しかし、このことを極めて重大且つ興味を持っていくのが私の母方の父 清治である。祖父は明治生まれであるが、新しい事やモノが好きで好奇心旺盛な人であった。 母が一人っ子であったため父は養子で中村家に入ったのであるが、このことが現在のZOOGAMIに多いに関係していくこは次回お話したい。

物語は続く(5)玉泉寺のこと

 

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伊豆・下田の玉泉寺が最初のアメリカ総領事館となるわけだが、1800年代にお寺に星条旗が掲げられた姿はどんなものであったのだろう? 実は玉泉寺はアメリカ総領事館になる前、日露和親条約交渉の場でもあり、当時としては極めて珍しく国際的な場所でもあった。またドイツ商人ルドルフも滞在していたとされ、欧米人が残したものに、現代でも理解できないような言葉や絵が残っているといわれる。その中にあるのが「穴の開いた象」の絵があったといわれている。ハリス以降かその前からかは定かではないが、彼らの寝床や出入り口に彫られていたり、落書きのように描かれていたとも言われる。どうやらゾウガミとの連携を容易に想起できる不思議なマークであったと言われる。

物語は続く(4)助蔵が残した英和辞書

英和

助蔵が残した英和辞書にZOUGAMIという文字が残っていた事は、この事がいかに重要であるかを示している訳であるが、ヒュースケンのマント(現在は下田市に寄贈)の裏地にもやはりこの文字の刺繍が残っている。時間の経過とともにZOUGAMIがZOOGAMIに変化したことは容易に想像できるが、いずれにしてもこの文字はある限られた特定の人達だけが大切にしてきた。ヒュースケンの暗殺はこれが起因とする見方もあるが真偽のほどは確かではない。では当時、日本人は何故この言葉に畏怖し同時に崇めたてたのか? ヒントは下田の玉泉寺にあった。

物語は続く(3)ヘンリー・ヒュースケンの言葉

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総領事ハリスの通訳であったオランダ人ヒュースケンは西山助蔵を信頼し多くの事を語っていたと思われる。後に助蔵が残したメモの中にはいくつかのキーワードが散見される。その中にZOUGAMIという文字も残っており、その意は『触れられない偉大なもの』とある。畏怖を感じさせるその言葉をヒュースケンを度々助蔵に語って聞かせ、決して忘れないよう言っていたようである。それは何故なのか? ヒュースケンは何を助蔵の記憶に残したかったのか?またヒュースケンが通訳となって日本に来た真の理由は何なのか? 1861年東麻布でヒュースケンは暗殺される。それは様々な理由が重なり合い起きた事実なのである。

 

物語は続く(2)西山助蔵という人

助蔵

時代は随分さかのぼるが、1856年『日米和親条約』によって伊豆の下田に初代総領事ハリスは書記のヒュースケンと供に着任する。その際、ヒュースケンに仕えた下田の若者がいた。まだ13才の西山助蔵である。後に日本で最初と言われる和英辞書を世に残すが、彼はヒュースケンにたいそう可愛がられ様々な情報も得ることとなる。西山助蔵は現代のZOOGAMIを語る上で外すことのできない重要な役割をもつことになる。

物語は続く(1)謎の本

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ある日、父親の古い本棚に不思議な本らしきものを発見した。象の表紙が印象的で、なんとなく興味深い趣があった。ペラペラとページをめくってみると、英文とどうやらイタリア文とで書かれたその内容は正確にはわからなかったが、挿絵や写真から とても不思議で怪しい気分に誘い込まれた。なんとも表現できないデビットリンチの映画を観た時のような、どこかで接したことのあるような、でも何かちょっと変な世界観がそこにはあった。

まさかその時は、その小さなブックに意外で重大なヒントが隠されているとは まるで気づかずに。